WW2:英国海軍サムエル・フォール卿と日本海軍工藤俊作中佐(動画): British-Japan Bonds:Royal Navy Sir Samuel Falle and Shunsaku Kudo:  英日关系:皇家海军爵士 Samuel Falle 和中校 Shunsaku Kudo:

WW2:英国海軍サムエル・フォール卿と日本海軍工藤俊作中佐(動画):
British-Japan Bonds:Royal Navy Sir Samuel Falle and Shunsaku Kudo: 
英日关系:皇家海军爵士 Samuel Falle 和中校 Shunsaku Kudo:

ー旧英国海軍漂流兵442人を救助ー

9月4日

中国のポータルサイト
SINA.COM:

第2次大戦中、旧日本海軍に尊敬に値する日本人が1人いた。

「その人物にまつわるエピソードを紹介する記事」が掲載された。

旧日本海軍
工藤俊作中佐:

記事が紹介したのは、旧日本海軍の工藤俊作中佐。

1901年に日本の農家に生まれ、1920年に海軍兵学校に入学。

戦艦「夕張」、「長門」に配備された。

少佐時代の1940年11月:

駆逐艦「雷」の艦長となり、艦艦長のまま太平洋戦争開戦を迎えた。

太平洋戦争の開戦:

1942年3月工藤中佐は、

  • スラバヤ沖海戦で、
  • 英国の巡洋艦「エクセター」
  • 「エンカウンター」などを撃沈した。

漂流兵の救難活動:

翌日、海上に漂流している数多くの敵兵を発見。

「日本の艦船に見つかった英国海軍の漂流兵ら」は死を覚悟していた。

しかし、

  • 工藤中佐は部下に救援指示を出し、
  • 艦上に救援の国際信号旗を掲げて、
  • 英国海軍漂流兵の救難活動を開始した。

この活動により、敵兵422人の漂流者を救助した。

病院船に捕虜を引渡し:

工藤中佐は、

  • 漂流兵の身体を拭き、
  • 乾いた服に着替えさせるよう、
  • 部下に指示した。

日本帝国海軍の賓客:

事態が落ち着くと、艦上で英語でスピーチ。

「勇敢に戦ったあなた方は日本帝国海軍の賓客だ」

食料や水、タバコまで支給した。

2日後、オランダの病院船に捕虜を引き渡した。

英国の外交官
サムエル・フォール氏:

一方、

  • 工藤中佐は1979年に死去するまで、
  • 家族に対しても、
  • この件について一切語ることは無かった。

当時救助を受けた一人で、後に外交官となった英国のサムエル・フォール氏。

サムエル・フォール氏が

今世紀に工藤中佐の墓参を実現すべく、活動したことで初め知られるようになった。

中国メディア-サーチナ

http://news.searchina.net/id/1701957?page=1

英軍将兵422名の命を救った帝国海軍中佐:いまも英米で称賛

2008年12月7日

元英国海軍大尉で戦後外交官として活躍したサムエル・フォール卿(当時89歳)

埼玉県川口市、薬林寺境内にある工藤俊作海軍中佐の墓前に車椅子で参拝した。

66年9か月ぶりに積年の再会を果たした。

工藤俊作海軍中佐の墓前に参拝:

  • 卿は大戦中自分や戦友の命を、
  • 救ってくれた工藤中佐にお礼を述べたく、
  • 戦後、その消息を探し続けて来た。

関係者の支援の結果、ようやく墓所を探しあてたのである。

直後の記者会見:

サムエル・フォール卿は、工藤中佐指揮する駆逐艦・雷(いかづち)に救助された。

厚遇された思い出を、「豪華客船でクルージングしているようであった」と語った。

NEWSポストセブン

https://www.news-postseven.com/archives/20180812_714163.html?DETAIL

CiNii 論文 –

工藤俊作中佐と「海の武士道」

元英海軍大尉サムエル・フォール卿来日と日英の絆

https://ci.nii.ac.jp/naid/40016432584