ユダヤ系難民:もう一つの「命のビザ」米で発見:ユダヤ人救済,根井三郎:
Jewish Refugees: Another “Visa of Life” Discovered in US: Jewish Relief, Saburo Nei:
犹太难民:美国发现的另一种“生命签证”:犹太救济,Saburo Nei
ユダヤ系難民:
根井三郎:
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ系難民の亡命を、手助けした。
「外交官、根井三郎(1902~92)が発給した日本通過ビザ(査証)」が、米国で初めて見つかった。
宮崎市:発表内容
生誕地の宮崎市が6月2日、発表した。
宮崎市は、「根井三郎が、人道的立場からユダヤ人救済に動いたことが、裏付けられた」としている。
極東ウラジオストク:総領事代理
根井三郎は当時、ソ連(現ロシア)極東ウラジオストク/総領事代理。
戦時中、ユダヤ系難民は、日本駐リトアニア/杉原領事代理が発給した通称「命のビザ」を携えている。
根井三郎は、
- シベリア鉄道で逃れてきたユダヤ難民らに、即座に対応。
- 敦賀港(福井県)行き連絡船の乗船許可を、与えた。
- 「ビザを持たない者には独断でビザを発給したとする記録」が、ソ連側に残っている。
「杉原が発給したビザに、根井が署名し、日本通過を認める検印をしたビザ」は見つかっている。
しかし、「根井三郎が単独で発給したビザ」は、確認されていなかった。
フリーライター北出明氏(76)の調査
ユダヤ人難民に関する著書:東京在住のフリーライター
北出明さん(76)の調査で、次のことを確認した。
- ユダヤ系ポーランド人:故シモン・コエンタイエル氏が、
- 妻、娘と3人で、根井三郎のビザで日本を通過し、
- 中国・上海経由で、米国サンフランシスコに亡命していたことを確認。
米国の孫:画像データ確認
米国在住の孫から、ビザの画像データの提供を受けた。
ビザには、1941年2月28日の日付と根井の署名がある。
戦時中の日本外務省:
1941年、杉原が発給した日本通過ビザを再検閲した。
日本の外務省は、「要件を満たさない者を、日本行きの船に、乗せてはならない」と、根井に命令した。
これに対し、根井三郎は「国際的信用から考えて、面白からず」と拒絶した電文が、現在も外交史料館に残る。
【西日本新聞ニュース】